FIRE4年目の人生ゲーム・ロードバイクと登山と写真

2021年9月末に早期退職でFIRE4年目、一日7千円の生活費が目標、2022年11月からロードバイク、2024年9月から登山、2024年11月から写真・カメラも序にスタート

FIRE前のサラリーマン収入:約36年で総収入(給与):25,220万円、平均:597.4万円/年

2023年9月でFIRE開始から丸2年になるので、サラリーマン時代の収入/所得(給与)と支出(家計出費など)と資産形成(貯金・投資など)を振り返りまとめました。

今回はブログ3部構成の第1部で会社への就職から早期退職までの給与所得・収入内容をブログに記載します。但し、詳細な金額は古い記憶で曖昧な概算金額・創作資料です。

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工業高校から製薬会社へ就職

工業高校3年になると10月1日から就職活動(試験・面接)がスタートしますが、私の就職活動は第一希望で茨城近辺(水戸~日立周辺)の電気関係の大手会社で技術職を受験しましたが、1回目の就職活動は一次審査・学科試験のみであっけなく落ちました。

当時は1984年のバブル前の好景気入り時期と重なり、工業高校の就職活動は技術職と技能職があって技能職は工場1カ所20~30名位の募集で工業高校卒は簡単に受かりますが、技術職は半分以下の狭き門約5~10名の募集で大卒/高専卒などと一緒になるため、言い訳になるが工業高校(電気科)在学者は少し難易度が高かった。

2度目の就職活動は、電気科とは無関係な製薬会社で11月に申込み翌年1985年1月に東京本社で同日試験・面接があり、千葉の製薬会社に受験し無事に内定(合格)しました。

会社への就職は、会社設立当時から毎年数名の工業高校の入社があり昔からの繋がりで、高卒は技能職(生産)なので工業高校枠で「採用内定・合格」出来たようです。

当時は同期で同じ学校から10月受験の化学科1名と私(電気科1名)が1985年4月に入社しました。

会社の創立は約20年の中小会社(当時社員250人位)の工場増設・増員時期でもあり4月入社の新卒は、同期の高卒(工場)4名入社と短大2名(QC管理・事務職)と大卒・修士・院卒6~8名(本社総合職/工場/MR営業/研究員など)入社だったと記憶しています。

私が早期退職した55歳時点で同期入社組は、まだまだ現役で6・7名が残っていました。早期退職で辞める時には親会社の変更と合弁M&Aなどで会社の規模は社員1,000人位になっていました。

就職した製薬会社の選定理由は、担任の強い勧めがあったのが第一要因で、給与は第一希望で落ちた電気業界より数万円高くボーナスが当時は基本給の年7.4~7.8カ月でした。第一希望の電気業界で当時のボーナスは年5.2~5.6カ月だったので、製薬(化学)業界は年間+2カ月分以上も良かった。

サラリーマン生活は、入社から約36年間同じ会社1社でサラリーマン生活を終えたので、就職先選びは「大成功」で良い担任先生(進路指導ベテラン教員)や高校の先輩の指導・育成のおかげでだと感謝しています。

総収入:25,220万円、平均収入:597.4万円/年

表-1に給与所得と手取り金額(会社員19歳~55歳)までの所得データを添付します。図-1 給与所得(税金・保険・貯金)と手取り金額(19歳~55歳)と図-2 株式所得と雑費の追加所得合計(19歳~55歳)を添付します。

※ 給与収入-(税金+財形・積立貯金+保険)=手取り金額

※ 手取り金額+配当所得+譲渡所得=給与所得

※ 退職所得や保険解約一時金は、55歳に入金されていて「平均値」には含めません。

収入所得:最低210万円~最高850万円、平均597.4万円、合計25,220万円でした。

就職時の求人票は、基本給11.8万円と3交代手当の約2.4万円と食時手当4千円補助と時間外手当の残業時間と休日出勤を含め平均20~30時間(5万円~10万円)が加算された給与でサラリーマン生活が始まりました。

給与所得1年目は、入社4月からでボーナス1回目は5万円と2回目は約25万円(基本給2カ月分)でスタートしました。3交代は24歳入社5年目で部署が変わり無くなりました。

給与が上がるタイミングの昇進試験は3回ほど経験し経営職には就けませんでしたが、毎年ベースアップと少ない昇給で基本給11.8万円から早期退職する55歳時点では基本給43万円位となりました。

最高額の収入給与は、50歳頃で時間外手当/休日出勤が月に平均約40時間あった時で850~880万円位になりました。

親会社の買収や会社のM&Aがあり会社名が変わる度に給与制度の見直しが何度かあり、何処の会社も同じと思いますが、50歳以降は経費削減で残業削減と休日出勤の振休取得があったため給与所得は下がっていました。なお、50歳の頃には毎年のベースアップはほぼ無くなり50歳以降は年1,200円の基本給アップのみでした。50歳台は給与は上がらなくなり、ボーナス査定は良い評価を貰い恵まれていたが、徐々に悪くなりました。

サラリーマンも50歳を過ぎると定年60歳(雇用延長65歳)までの収入がハッキリと計算できるようになりました。厚生年金制度の見直しも給与制度と同じように何度かあり、厚生年金(DB運用3%→2.5%とDC自己責任)は積み立て分以外に増える見通しは無いので、早期退職リタイアは55歳の決断は正しかったと思います。

早期退職55歳は、給与所得9カ月(ボーナス2回)と退職所得2,860万円と失業保険150万円などを加算しているため、合計3,710万円になっています。なお、55歳の収入は多過ぎるので平均から除外しました。

税金:最低16万円~最高270万円、平均166.1万円、合計6,486万円でした。

税金は、所得税住民税健康保険料厚生年金の合計で所得金額からの概算計算になります。会社員の頃の税金は会社任せで税金対策も余り無いので、所得税の所得900万円を超えないようにすること位でした。

年間の貯金:最低16万円~最高300万円、平均136.8万円、合計5,124万円でした。

18歳入社前の貯金はアルバイトなどで約20万円ありました。

貯金は、入社して直ぐにスタートし、主に会社の天引きで一般財形貯蓄(最大300万円)住宅財形貯蓄(550万円)で34歳頃までまじめに行いました。34歳頃には財形貯蓄は満額以上になり、35歳からは投資に興味を持ちネット証券会社で株式投資をスタートしたため財形貯蓄は一部解約の手続きが面倒で、銀行の積立定期預金外貨預金などに変更し月20万円とボーナス年100万円を預金していました。

財形貯蓄で貯めた貯金は、一般財形は「車や楽器など」の購入資金に代わり、住宅財形(満額)は2002年に中古マンション850万円の購入資金となりました。

年間の保険:最低18万円~最高36万円、平均28.5万円、合計1,020万円でした。

会社の保険で掛け捨て普通傷害:2口(1口700円)交通傷害:2口(1口700円)を55歳まで入っていました。保険で入院費は1日5,000円位と死亡時に500万円位になるように保険に入りました。保険契約中にケガや交通事故(人身事故)は起こさなかったので一度も使いませんでした。

自動車保険東京海上は会社の天引きで車を所持した19歳から54歳まで入っていました。自動車保険は20歳台の若い時に物損事故で2回ほど使ったため4等級程下がり更新時は非常に高かった。55歳からは早期退職を計画したためネット保険で「おとなの自動車保険」に変更しました。バイク保険は1台目は入らず、2台目以降はネット保険で三井住友系と125㏄以下は会社のファミリーバイク保険に入りました。

年金積立保険は35歳頃から月1万円で55歳まで継続していました。会社を辞める55歳の途中解約で60歳の満期までは成らなかったが約300万円の積立金がありました。

給与手取り:最低176万円~最高376万円、平均266.8万円、合計12,610万円でした。

手取りは、給与から税金と貯金と保険を引いた金額です。

配当所得:最低10万円~最高200万円、平均77.9万円、合計1,635万円でした。

配当所得は、投資金額の半分位は高配当の日本株に投資していたので、配当率は3%~6%で運用できていました。また、リーマンショックで株価は1/3まで下がり、新型コロナショックで2/3まで下がりましたが、一部売却したために売却利益はマイナスでした。

譲渡所得:最低10万円~最高800万円、平均131.2万円、合計1,98万円でした。

譲渡所得は、車・バイク・マンションの売却で得た譲渡金額で購入金額より下がっているので利益は出ていません。

所得の合計:最低176万円~最高671万円、平均329.4万円、合計16,233万円でした。

所得の合計は、給与手取り金額に配当所得と譲渡所得を加えた金額です。55歳の退職所得は平均に入れていないので、平均は手取りの266.8万円より少し多い329.4万円でした。

表-1 給与所得と給与手取り金額(会社員19歳~55歳)

図-1.収入と手取り金額・給与所得(19歳~55歳)

図-2.配当所得と譲渡所得の所得合計(19歳~55歳)

収入・貯金・投資・年金のまとめ

1.工業高校から就職

工業高校の就職活動は、第一希望が茨城県内の電気関係(日立製作所)一流企業で一次審査(学科試験)で落ち、第二希望は担任(進路指導)の推奨で製薬会社(技能職)に就職し、業務は3交代制オペレーター・技術スタッフから生産設備関係の技術職になり、総資産が目標5,000万円を超えた45歳頃から早期退職セミリタイアを計画した。

定年(60歳)まで会社員は続かなかったが55歳まで現場一筋に36年間勤めた。

2.収入(給与)

入社時期が工場の新薬上市と生産の増産時期とバブル景気で給与の基本給は毎年上がり、入社時点は基本給11.8万円から55歳時点で約43万円になった。

20代前半は三交代制のある職場で基本給に交代手当と時間外手当がプラスされ、手当てで3万円~20万円ほど収入が多かった。

40歳頃からは手当は無くなり残業代も減ったが、既に基本給が高かったので収入(給与)は余り下がらなかった。

3.給与所得

サラリーマンなので節税などは一切関係なかった。税金が戻る年末調整は、会社で保険関係に入っていて自動で記載されており、チェックは署名と認印を押して終わりでした。

税金や積立預金を引いた給与所得は、年間支出が年240万円だったので、給与所得年300万円を目標に計画的に収入を調整し、少しの残金は更に投資に加えた。

4.貯金

入社後直ぐに会社の財形貯蓄制度を利用し貯蓄をスタートした。財形貯蓄は、一般財形貯蓄(300万円)と住宅財形貯蓄(550万円)を満額まで積立した。

年金積立保険は、年金財形貯蓄では無く月1万円の傷害保険と合わさった普通の年金積立保険にした。

5.投資

パソコン趣味-インターネット発展時期が趣味で重なり、証券会社でネット取引が可能になった時期の2001年から投資(遊び感覚)をスタートした。

35歳頃からは貯金(定期預金・外貨預金)から株式投資にシフトした。

40代後半からは、インカムゲイン・配当金目当てで日本株高配当株に投資した。

投資期間中にリセッションは2回発生し、リーマンショックで株価1/3に下落し、新型コロナで株価2/3まで下がったが、ショック時の売却は数百万円のダメージで済み、その後は徐々に購入金額(投資金額)に戻ることができた。

50代になると早期退職セミリタイアを計画し出したので、インカムゲイン・配当金・優待券の多い銘柄5~10銘柄に完全移行した。日本株から米国株・インデックス投資を勉強し出した。

6.年金

会社の年金制度は企業M&Aと親会社の変更で3回ほど大きく変わり、最終的には厚生年金は確定給付年金DB(年利2.5%)6割と確定拠出年金DC(投資先を自分で決める自己責任)4割となった。

確定拠出年金DC(日本型401k)は、会社員の時は株式投資は既に行っていたので、DC投資先は定期預金と債券を中心にして元本割れしないようにしたため運用益(年利0.2%)が殆ど無かったが、早期退職後はiDeCo個人型拠出年金にシフトして全米株式インデックスと全世界(国内)株式インデックスに移行、現在は年利10%~12%で大幅上昇している。

iDeCo運用は退職所得控除が運用額上限になっているので、今後は新NISAで税金対策をして行こうと考えています。

 

いつも最後まで見てくれてありがとうございます。

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